第二回 「垣間見す」前編

木枯らしに冬の訪れだと晒され始める霜月の頃。私は一人夜を行くバスの揺れに傅かれる。
お疲れ様です。まもなく名古屋です。と敬うアナウンスに叩き起こされ、ぼ~っとしたまま寒ぃな…と半ばキレる様に、またぼ~っとする様に7ヶ月ぶりの名古屋駅の朝に降り立たされた。
なんだか白くぼんやりしていた。

2020年の4月。ヒンガシの地へ引っ越した次の日に例の宣言が出たため中々帰省できるタイミングがなかったのだが、今回本郷はアルマジロの「金曜カントリーナイト」への招集がかかったため馳せ参ずことを決めた。

平均年齢60歳くらいの年輪の刻まれたスティールペダルが長を務める箱バン”country wagon”で私はヒョンなことからリードギターとして参加するようになった。
愛知に居た頃はこのアルマジロともう1か所、新栄のカントリークラブの2バンドにもちょこちょこ参加しており、週1でカントリーができていた。
大学ではビッグバンドでコードを弾いていたので、“単音”はカントリーで初めてであり、修行になった。(基本的に譜面はなく、見様見真似でやれよ式)

またセットリストは其々のリーダーの好みでカントリーとは言え趣向は其々で違う。
今回はフロアでカントリーダンスもある、ノリ強めセットリストであり、ずっと5畳半でルートビアを飲みながらあの風景にずっと想いを馳せていたので非常にwktk状態であった。
(基本的に3ステージあり、曲数は全部で30曲程ありなかなかにタフ。凄いよ、おっちゃん)

しかしながらヒンガシの地で過ごす身として愛知に戻ったとて気安くお世話になった人や友達と会える空の気ではなかったため、あまり広く動かず実家の妹も受験生であったため駅のホテルに泊まることにした。
それ故今回は帰省というより現場仕事と小旅行みたいな感覚であり、もう私は愛知に向かい入れられる関係になったのだなあと錦通りを歩きながらふと思った。

もう私の連続する生活はここにはなく、果たす目的のためにこの通りを歩いているんだなあと、それが引っ越す前の東京に居る感覚と同じで急に足元がふらつく錯覚をおかした。
名古屋駅から栄に向かう白くぼんやりしていたその通りで。

しかしながら歩けば喫茶があるというのはキセキ。値段も400円で茹で卵に食パンという「THE・モーニング」。もうヒンガシにはチェーンで繋がるカフェしかないので、今や私は平然と「スタバ」なんていう言葉を発する様になったが、そりゃ足りるよなあと、店主と常連の名古屋弁の丁丁発止なやり取りに非常に落ち着いた。
店は落ち着いていたためぼんやりと内田百閒のページを進め、話を盗み聞きした。

店を出て暫くすると屹立するテレビ塔の頭が見えた。お、栄だ~、なんて独り言ちたが、大きく騙された。そこは私の知らぬ栄であった。

テレビ塔の裾に流れを牽引するような“ストア”と称されるだろう店の連なり、そしてその横で腰を低くするオアシス21が視界に収まり、朝到着してから何だかずっと白~くぼんやりしている謎が解けた。

こ、ここはパラレルワールドだ…!お、おれはパラレルな尾張の地へ降り立ってしまったのか…!

なんてオアシス21によって中②脳に侵された私はパシャパシャ写真を撮り公園を歩いていた。するとポッケに反応があり「発注の数どのくらいにしますか?」と”ayuさん”からの通知が入っていた。
おお、スプラトゥーン2のDLC、オクト・エキスパンションでのテンタクルズから通知の入るような8号の気持ち…と一瞬脳内阿呆列車に揺られ、いかんいかんと送られたURLを指先で開いた。

“ラベル”…。“インデックスカードはショートまたはロング”…。どーゆーこっちゃ。
何となくは想像できるも、何となくでしか想像できない。改めて初めて会う時菓子折りでも持って行かないといけないかなと思う距離感なのだなと認識した。
そしてヲタクの中で育ってきた身として、何となくでやって無意識の中でその文化への冒涜に繋がるようなことがあったら怖いな…と、其々の単語を検索にかけながら宿泊するホテルへと向かった。

その夜無事カントリーナイトは終演を迎え、涙のチキンブリトーとルートビアを体内に保管し本郷を後に私は栄のホテルに戻った。
受付でGoToの金券をもらい明けた翌日それでガットギターをゲットした。
帰省にGoToに、ガットギター。

それから3泊4日の小旅行が始まった。
ヒンガシでの生活が始まってこのご時世になり、より故郷はよりはるか遠くに感じていた。故に私はずっとはるか遠くへ来た心地で居た。

22年間を過ごした土地、小牧、通称Kタウンに戻った。
この7ヶ月間でもKタウンは装いを新たにしており、パラレルに慣れてきた私はもう動じておらぬぞといった面持ちで歩いた。見栄を張って。

町から少し離れると空が一気に広がった。
こんな広い空を収める額縁を私は用意できていなかった。
マリオカートのタイムアタックのゴーストの様な過去の自分がその途途でフラッシュバックする。

懐かしむというより、当時は((何なんだろう…))と言葉に当てはめられなかった白にも黒にも浸けられなかった感情に、今の脳の体験の痕跡から((あれはああだったのかな…))なんて推し測る色塗りをする様な気持ちで愛瀬川沿いを歩いた。
(え、おっさんになるってこういうことなのか…!?)

後編に続く