第五回 「注ぐる」後の後の後の後編

(つづき)

夜の更ければ、ぴたりと動かぬカーテンの網目を分ける入る涼風に、僅かな凛を感じ取ってみる深夜26時31分。
動画の書き出し中。PCが静かに唸っている。

気づけば遠くへ来たもんだ。
温度の感じぬ水をぼ~~と飲み干し思い出してみる。
COMPLEXの主、あゆさんと初めて打ち合わせをした秋からもう半年以上が過ぎている。

年初めにレコーディングを行い、春先にCOMPLEXのライヴに前座として出演させて頂いた。
あのライヴは非常に緊張したのを覚えている。我々が出ても大丈夫なのか…という全体(イベントの雰囲気含む)のバランスを崩してしまう不安から生じる緊張とtheシンプル緊張。緊張の両刀持ち状態であった。両刀持ちでやり切った。

演奏を終え緊張の抜けきらぬ状態であゆさんに挨拶しに行くとあゆさんは嬉しそうにしており、((良かったのか…な…?))と徐々に思え初め、その後色んな方に挨拶をさせて頂き話を聞く中で、((良かったようだ…!良かった~~~))と自分の中で確証に変わった。

その後テスト版の「MURAバんく。」と書かれただけの白いカセットテープが届き、小島えも氏の和室で丸山とHさんとデッキで聴いてみた。
胃の底でも肺の底でも喉の奥でも、何かが沸々と沸きあがるような感覚がして、いつも硬い文章だけでやりとりしている担当の業者に「Kさん!!きけました!!!感動です!!!!!」とメールを打って送っていた。
乱立する鬼のエクスクラメーションマークよ。
客観性を失い己のイタさを露呈してしまうほどの感動があった。
翌日届いた返信には☆マークが付けてある。きっとまた思い出す瞬間は来るのだろう。

それから、メンバーと切って張ってを繰り返しカセットテープ『喪服の裾をからげ/ひみつ』は完成し(YOUTUBEにドキュメントあるから見てね)、春分の日に無事リリースできた。

そして、YOUTUBEレコ発を行った。
このご時世故に日にちを決めても、その日に100%開催できるかわからぬ不安があった。
ならば一層のこと虚構の世界で行うと考えた。
この今の状況を無意識的に作品に取り込み、如何におもしろい“華”として昇らせることができるのかを2020年はずっと考えた。

葛飾出身とならそれができるぞ…!と思い、声をかけて冬から春にかけて制作を進めた。
未熟ながらにも脚本や構成や編集などなどをぐ~~~と考えて作る日々だった。
そして4月になり無事、YOUTUBEレコ発「MURAバんく。vs葛飾出身」は開催された。
ポリゴンになって演奏したな~~。

そしてCOMPLEXプレゼンツで現実でのレコ発も開催できた。
「MURAバんく。の春クール行脚」。
本当は12公演、色んなところを回って(どさ回りのように)演奏したかったが、断念。しょうがなし。
東京編と愛知編の2公演を行うことにして、東京編は無事終了した。

終演後から数日はこの日の反省点とその攻略を永遠に考えた。
今後考えていかねばならぬ自分の中で重要なポイントと、拡張していきたいポイントがはっきりしてきた。
それは終演後の深夜、通話で話を聞いてくれた小島えも、その翌日に急遽吉祥寺に来ていただき攻略を共に考えてくれた明珍さんのおかげである。
そして早速共演したぎがもえかさんの「敵わない」の歌詞が刺さり音楽に救われた。

今作「喪服の裾をからげ/ひみつ」のリリース、2つのレコ発をやり切る中で、私は多くの冬を経験した。
人と協力したり共闘しモノをつくる、それは自分と向き合うことでもあるのだなと永遠に続いた冬に思い知らされた。

文字に起こせばありきたりなコトなのだが、私はできるだけ好きなモノに囲まれ自分を無視して生きたい人間だ。
できるだけ向き合わず好きなコトに没頭していたい。

しかし何かモノを作る、そして人と共闘するとなると、ちゃんと自分の底にある気持ちや提示したいアイディアをハッキリと伝えないと、イメージは現実に現れない。
元々真意は人目に触れぬ様にへらへら立ち回って過ごしていたい人間故に、それを痛く自覚した。
冬が終われど、この先も自分のやりたいことを続けるなば、この戦いは終わらない。

どっこい、私のそのモノづくりにおける覚悟は既に平熱の中にも生まれている。
実のモノも、虚のモノも。
私のやりたい、実現させたいコトはまだ鬼の様にある。

ハッと気づけばそこは部屋。
動画の書き出しはエラーが出ており、そろりと泣いた。
本棚に目をやれば、お気に入りの漫画や画集の横にちょこんとカセットテープが鎮座しておる。いやはや、キュートな佇まい。

あの日、帰宅した小島氏とH氏の放った「お、いいじゃん」は日ごろ懐疑心に苛まれがちな私でさえも信用できる「お、いいじゃん」であった。優しく鳩尾に喰らった「お、いいじゃん」。

このジャケも喜んでもらえて良かったなあと思いながらエラー表示の確認をする。

今作のジャケは、初心者ながらもラインやシェイプ(ここぞとばかりに単語を使う)構図を何となく意識しながらも、バンドの背景、今の時代性、自分の祈りみたいなものをできるだけ浮かない形で落とし込むように考えた。

それからDSiを久方ぶりに立ち上げ、うごくメモ帳で文字を書き、それをiPadで完成させたジャケに落とし込み、扉絵のページでは久方ぶりにGペンを握り手書きで文字を書いた。
小学、中学、大学と各時代のツチヤ、総動員…!

無理やり背伸びをしたり、世の正論に合わせたものは、必ずバレる。
それ故私は自分の好きなカンジを中心に“地の自分”というアイディアで一つの絵を描いてみたかった。
カセットを受け取ってくれた方がSNSに写真を投稿してくれたり、カセットにある“あいことば“の特典で感想を頂けた時なんかは物凄く嬉しかった。
思っていた以上にあいことばを送ってくれる方が多く、ちゃんと届いてる…!と毎度感極まる。

ジャケで描いた、荒原で壊れたヤグラから一本の伸びるアンテナ。
そのアンテナからの“びびび”がちゃんと繋がった感覚、そしてまたそのゲットしてくれた方の通信が届く感覚。
「繋がり」という言葉をずっと胡散臭いなぁ~なんて思っていたが、モノで繋がるその繋がりは、とても不思議な感覚であった。
このご時世故になのであろうか。それでこっちも((“びびび”を止めちゃいかんな…))と今も尚モノづくりを進めている。

「かいけつゾロリって人間なの?動物なの?」
今の私ならとスッと言える。

「ゾロリはゾロリ~ッ!」

擬態と本質の合間のイマジネーション。
そこを地で行くゾロリ、かっこいいじゃん~。

カーテンの網の向こうで鳥のさえずりが聞こえる。
頭がぷわんぷわんしている。
画面の向こうでは埼玉のセンキヤでムラビトくんが歩いている。
結局貫徹で、このままバイトに行くことになった。

きっと今これを読んでくれているあなたの時間軸ではYOUTUBEにupされているだろう。
現実と虚構の両方を地でいく「びびびニュース6月号」。
是非ともご覧いただきたい。

そして、このコラムは今回で終わりになる。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
このコラムがあげられた頃、やっと私の冬は終わります。
そう、実は冬はまだ終わっていなかった。
終わっていなかったのである。

「再生す、恋文」。きっとこの恋文が届くことはない。
この本当の送り先は“人”でなく“モノづくり”へのものだから。

私は幼いころから人一倍モノや創作に救われてきた人間なのです。
私の多くを注ぎたい相手、それは矢張り貴方“モノづくり”なのである。
その想いは一生片思いだろうが、アタシ、アタシ絶対に諦めないんだからッ…‼

“妄想 幻想 理想が大暴走

制御できないよ ダメ人間?“

何度でも、何度でも再生す、ときめき。
これで冬に終止符を打とう。

次は夏。
((…ん、………夏ッ!?))