#3 TOURS歴史 結成前夜(2008〜2012)

どうも藤村です。
何気に長い”TOURS”の歴史!
僕のバンド歴と絡め懐かしい気持ちになりながら書いてみました。
ご一読頂けたら幸いです。

~結成前夜(2008~2012)~


2008

シャムキャッツで自主制作したデモ”もちろんちょうだい”から「忘れていたのさ」がCINRAのホームページのプレイリストに入った。まだサブスクやYoutubeに音楽がない時代、僕はそのプレイリストから(他にもmixi、myspace、CRJ-tokyo、はてなブログ等があったが)現在東京のライブシーンで活躍している先輩や同世代の音楽を知るのであった。
当時いわゆる「日本語ロック」から距離を置きつつも、サウンドや曲の構造でUSインディーに影響を受けながら日本語で詩情を歌う事ができているバンド(バンド=ドラムがある)は少なく、東京ではmoools、Gellers、YOMOYAくらいだったように思う。その中でもYOMOYAは音符の整理と音色の選び方が綺麗にデザインされているバンドという印象だった。


2009

今でも思い出す風景がある。シャムキャッツが1stアルバムの「はしけ」を全国流通した当時、自分はまだ茨城に住んでいて田舎にある工場で派遣バイトをしていた。身も心もクタクタなバイトの休憩時間に俺は乾いた田園風景を眺めながらYOMOYAの”Yoi toy”とYo La Tengo の”Summer Sun”を聞いていたのだった。
そんな中新宿タワレコでのレコ発ライブを一緒にやったりとYOMOYAと一緒になる機会が増えていったのが嬉しかった。
水戸ソニックで対バンした時に長倉さんに「WINOみたいな曲やってんじゃねーか!めちゃいいな!」と言われたのが何か残ってる。


2010

バンド修行時代。デモを2ヶ月おきに3枚出す目標を掲げて一からライブハウスで修行をしだすシャムキャッツ。僕と菅原は古里さんからお誘いを受けウミネコサウンズのサポートもしていた。「ぐるぐるまわる」と言うフェスにウミネコサウンズのサポートで出た時(これはシャムキャッツ全員で出た)時に山本さんと久々に会った事を覚えている。一緒に七尾旅人さんのライブを見にいったのだが、その時黄倉未来さんが七尾さんの代わりに出演時間の半分以上一人でライブしていたのに衝撃を受けた。


2011

3.11大震災。その直後下北沢Shelterにて「電気を使わないライブ」(アンプラグドライブ)が急遽企画され様々なバンドが集う。シャムキャッツでアコースティックで出演する。そのノリもあり、山本さんにYOMOYAのシェルターでのレコ発ライブにアコースティックで出てくれとライブ前々日に誘われ(共演はSEBASTIAN Xとcero)急遽出演した。
シャムキャッツはこの年「渚」「サマー・ハイ」「GUM」と作品を出して月5~6本のライブをしたりと精力的に活動していたがYOMOYAとの共演はこれが最後だった。


~バンド始動(2012~2016)~


2012

縁あって「どついたるねん」のサポートドラムをするようになると自分のドラムはよりパンキッシュかつラウドなスタイルとなっていくのだが、当時Wilcoの音楽にとてもハマりGlenn Kotcheを理想のドラマーに据えていた自分はシャムキャッツでもどついたるねんでもない別のバンドでドラムを叩く機会が必要があると何となく感じていた。
そんな時に山本さんから「ソロプロジェクトを始めようと思うのだけどドラム叩かないか?」と連絡が来る。その後確か新宿の辰乃家で二人で呑んだのだった。
その時山本さんと色んな話をしたのだが「俺のバンドの理想系はWILCOとYo La Tengoなんだよね~」と言われた事で意気投合する。
そして山本さんがベース未経験のアルガ氏を誘い、俺が大学時代に暴力教室というバンドを一緒にやっていた友人の村戸氏(gustave coquiot)をギターに誘いTOURSが結成されるのであった。 (シラオカのVo.Gtこいけぐらんじ氏による当時のアーティスト画)
2013

TOURSのお披露目のために2月に渋谷O-nestにて初企画(w/スカート、シラオカ、ランタンパレード)を開催することになりスタジオにて準備をしていたが諸事情によりこの日を迎える前に村戸氏が脱退する事が決まる。その為であるかどうかは別としてサポートにRyo Hamamoto氏と小林4000を入れライブを敢行しイベントはどうにか無事盛況に終わる。
その流れもあり小林4000が加入。そして8月にはミュージックオルグにて2回目の企画(w/ふくろ、oono yuuki)を開催。
2014

3月渋谷0-nestにて企画3回目(ポニーのヒサミツ、柴田聡子、ookubofactory、シラオカ)。
ギタリストとして三木氏が加入し、夏には5人でStudio Zotにて録音した”Kittens EP”を発売する。 (studiozotでのレコーディング風景)
なおこの頃に”恋する団地”と言う名EPを出したayU君と共演する機会が増え仲良くなっていった。
今回COMPLEXにてリリースした理由のひとつであろうと思う。


2015

言葉にするのは難しいしが、皆忙しい日々の生活の中でのスタジオとライブに疲弊気味ではあったと思う。
小林4000とアルガ氏がバンドを退くこととなる。
またふりだしに戻ってしまったが同時に新たなベーシストとして以前より交流があった溝渕さんが加入の意向があると聞いたので、継続しようと思った。溝渕さんとはSuiseiNoboAz 時代から交流があり好きなベーシストだというのもあった
そしてToursは心機一転、スリーピースバンドとして再始動するのだった。
2016

友人である覚子さんに三人でのアー写を撮ってもらう。このときの写真は個人的にいろんなアー写の中で特に好きな写真たちである。
そして三人でのライブを始動。バンドは新たな道へと進むのであった。
次回、溝渕さんに託します!