#5 カセットテープの思い出

TOURSの山本です。カセットのリリースとライブまで日が残り少なくなりました。もう間近です。

アルバム曲の解説と、変遷の振り返りが各メンバーによって綴られてます。
正直、当事者にとっては記憶の外に出てしまったものもあった。溝と藤村のコラムを読んで、色々な風景が浮かび、細い線と化してしまった記憶が呼び覚まされたりした。記憶力がひ弱なんでね。TOURSはやっとこさファーストアルバムを作れた訳だけど、メンバーが変わったり潜伏期間があったりと実は知られざるヒストリーがあるんですね。バンドは人と人だから当然だとなんだけども。

そして今回そのアルバムは、慣れ親しんだCDではなく、カセットで製作することにしました。カセットと配信で聴けます。昨今、おおよその人はCDを購入しなくなっていると思う。正直、自分にもその節がある。LOWやWilcoなど自分にとって重要なアーティストの作品は今でもCDを必ず買うけど、機会は確実に減ってる。20代の頃は毎月10枚くらい買ってたな…。それにCDは、初めて自分の金で手に入れた音楽メディアでもある。中二の夏。中古のT-BOLAN。

自分のバンドの過去作もCDで制作し、聴くのも作るのも本当に長らくお世話になったのだけど、過去との決別(大袈裟)という心持ちと、新しいことをしていきたいという事でカセットを作るに至った訳です。

音楽に初めて触れた中高生の頃は、少ない小遣いでなかなかCDは頻繁には買えず、安価なカセットいじりばかりしてた。ラジオをテープに録音したり、今で言うミックステープを作って友人に渡したり。内容はハードロックのパワーバラード山本ベストとかだったけど…笑。ミックステープというにはおしゃれの要素は皆無なものばかりだった。

その頃カセットを使用して打ち込んでいたことがふたつある。
ひとつはオリジナルインデックスを作ること。レンタルして来たCDをテープにダビングするのだけど、手書きでアルバムの曲目を書いて終わりというのは嫌だった。出来るだけアルバムのアートワークと近い雰囲気にしたかったから。コピー機を使うのだけど、曲のインデックスを作る場合、裏ジャケをコピーしたものから曲目をひとつずつ切り貼りする。その時、拡大縮小を駆使してサイズをまとめる。インデックスの大きさにまとめてから、またそれをコピーして仕上げる時に、多少のサイズ調整と印刷の濃度を変えることで、切り貼りした紙のデコボコを目立たなくなるように調整していた。
基本モノクロなので白で明るくして飛ばすか、黒で暗くして消すかの2パターン。なのでMETALLICAのブラックアルバムは本当にやりがいがあって、めちゃくちゃ回数をかけて丁寧に作った記憶がある。探せば実家の学習机のとこに残ってるはず。でも今思えばなぜジャケじゃなく曲目の方に凝っていたのかは謎である。

自作曲の録音もカセットでやっていた。ギターとキーボードとマイクだけがあったので、ラジカセを使って、ボーカル含め3~4トラックのオーバーダブでやっていた。
キーボードにあるプリセットのドラム音を、手と足の指で鍵盤を叩いて録音。スピーカーの横にマイクを置いて録音である。ラインを使えば良かったはずなのになぜかスピーカーにマイクを置くスタイルで。多分そういうAVケーブルが家に無かった。
SONYのダブルデッキのCDラジカセを使って録音である。ひとつのデッキでテープを再生しつつマイクで音を拾い、もう片方のテープにオーバーダブする。
ベースとギターのパートは同じギターで兼用していた。今思えば無意味だ。同じ音域しか出ないのに。最後にボーカルを入れるのだが、何度もテープでダビングしている上に、上記のエアーマイク録りなので、最初の音がとてつもなく劣化する。スネアなんかはひどかった。最初「パンッ」だった音が低質ダビングによって「ギョイー」だったり「キャイーン」だったりとやたら金属質な音に変化した。
そんなやり方で録音した曲の中に、初めて作詞作曲した『生類憐れみの令』という曲がある。今でも一応歌える。

と言った感じで、カセットテープには黎明期(何の?)に非常にお世話になり、色んな音楽体験をしたと思う。CDと違い、手作業でアナログに編集が出来ることでやり甲斐があった。
そういえばYOMOYAで初めて作った音源もカセットだったことを今思い出した。正にデモテープってやつである。下北沢のハイラインレコードに置いてもらったな…。

そんな山本とカセットテープとの思い出です。